On Focus : Taizo Kuroda - Comtemporary Ceramist vol.1

On Focus : Taizo Kuroda - Comtemporary Ceramist vol.1

黒田泰蔵 1946年、滋賀県生まれ。1966年、フランス パリに滞在。その後、ニューヨークに滞在後、カナダ在住にてGeaten Beaudin氏の下で陶芸を学ぶ。カナダの製陶会社SIALにてデザイナーとして勤務、築釜、1991年伊東市に築釜とともにスタジオを開設。この頃より白磁に拘った創作を始め、今もなお自己表現として究極の白磁を求めて活動させ、日本のみならず海外でも高い評価を受けています。

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当店では黒田泰蔵さんの作品を取り扱いにあたり黒田さんの素敵なアトリエに行かせて頂き、取材と撮影をさせて頂きました。

 

 

・黒田さんにとってアートとは?

僕はなんか、アートっていうのは、

自分なりの考えだけど、

これは色々な考えがあるんだろうけど、アートに対しては、

僕はなんか、アートっていうのは、美しいものを作ることが目的ではない。

美しいものが作れたらいいけど、

目的としては美しいものを作ることではなくて、

美しいというよりも、

むしろ、自分が脳の中で疑問に思っていることを解決していくこと、だと思います。

簡単にいうと、心理の追求みたいな

それで、もしそれができたら結果として、美しいものに必然的になるような世界だと思う。

  

で、僕は宗教とアートっていうのは、ある意味嘘を売る商売だと思う。 

だけど、嘘を売る商売なんだけど、その嘘を真実にして売る商売だと思うのね。

アートと宗教は、少々変わったやつでも、少々変わったことを言っても、

今後ずっと許していこうって言って、人類が許してくれた職業なの かなって、あってもいいよって

多分言語ができてから、人間が言葉を得てから、

やっぱり言葉を持つってことは、不都合なこともすごい多くて、

色々な意味で言葉ができてから始まった世界っていうのは、

人間だけが体験してるんだと思う。

言葉を持つとやっぱり、

「こんなこと、しちゃいけないのかな」とか、

やっぱり脳でこう考えだすんだよね。

言葉がないときは、生きることも死ぬことも考えないんだと思う。

だから、生と死を知ると、抽象的な神様みたいなものを思い浮かべる

僕はだから、宗教とアートは人類が持たざるを得ないというか、

言語を持った時から、

アートと宗教は、人類にとって必要なものになったんだと思う。

だから、最初に言ったように、

嘘を本当にするというのは、そういう意味だよね。

まあ、嘘を売る商売というのはまずい言い方かもしれないけど。

でもまあ、アートもそうあるべきなのかもわからないけど、

宗教なんかは税制さえも優遇されてるもんね。

それはやっぱり、人類が必要だと思うからだと思うのね。

だから、やっぱりアートというのは必要な仕事なんだと思う。

 

 

・作品を作る際に、作り始めてから形を思い浮かべるのですか?

作り始めてから。

だけど、白磁をやり始めた時点で、三つの条件を決めたよね。

単色、器をあんまり外れないもの、それから轆轤整形。

だから、面取りという手法があるよね、こう白磁なんかだと。

だけど、僕はそれすらもしないって決めてるの。

轆轤整形で生まれるもの、それで、できるだけ簡単なこと。

それは本当に文字通り簡単なこと。あんまり難しいことはしない。

でも、それは条件には入れてない。

条件は、単色で、器からあまりはみ出ないで、轆轤整形。

この三つを守ろうって。

もっと軽い意味で、とにかく簡単なことをする。難しいことはしない。

それから、個性っていうものは、

個性は求めてはいるんだけど、

できれば、個性を消していきたい。

個性を消すことによって、ひょっとしたら本当の個性が出てくるんじゃないかって思ってるから。

というのは、あまりに表面的な個性みたいなのがもてはやされてるみたいなのは、

なんか嫌だね、僕自身。

個性ってそれほど目立つ必要もないと思うんだよね、別にね。

そうやって白磁を始めたら、条件ではなくて、違う意味で、

例えば、作っている形が、くびれがあって、ここで一角、明らかに線がつながってない、そして足で終わるみたいな、とか

そういう形がどうも嫌になってきて、

一本の線で、なるべく全部、

一つの線が曲がっているというのは、また違う話で、

そういうものばっかり作るようになってきたね。

ということは、一番単純な形。

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黒田さんへのインタビューはvol.2, 3と連載予定です。次回の記事もどうぞお楽しみに。

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