黒田泰蔵 1946年、滋賀県生まれ。1966年、フランス パリに滞在。その後、ニューヨークに滞在後、カナダ在住にてGeaten Beaudin氏の下で陶芸を学ぶ。カナダの製陶会社SIALにてデザイナーとして勤務、築釜、1991年伊東市に築釜とともにスタジオを開設。この頃より白磁に拘った創作を始め、今もなお自己表現として究極の白磁を求めて活動させ、日本のみならず海外でも高い評価を受けています。
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vol.1に引き続きの内容になります。
黒田先生のご自宅全体がアートピース。とても素敵なお宅を少しご紹介させていただきます。
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・それから、あとは焼き物屋さんになった、轆轤を使わせてもらえるようになってから、
2,3年経った時かな、だから焼き物屋になったんだね、2,3年でちょうど。
その頃に、なんか知らないんだけど、なんだ結局円筒じゃないかって。
しきりに円筒じゃないかって思うようになったね。
結局は円筒だよねって。
いい円筒が作れれば、それでいいんじゃないの、みたいに思ったけど。
でも、なぜその頃に作らなかったっかっていうのは、
すごく単純な答えで、円筒だけ作ってても食えないもんなって。
だって器でもなんでもない。
だからそれは、すごくなんか根性もないやつで、単純なやつだなって思われるかもわかんないけど、
事実、円筒だけ作ってたって多分食えません。
その頃、コーヒーカップがカナダでは、1ドルくらいで売らしてもらってたくらいで。
焼き物文化っていうのがほとんどないよね、日本以外。
だけど、なんで結局円筒だと思ったかは、
先に答えが出て、後から作り出したみたいな感じだったかな、円筒に関しては。
まあでも、とにかく円筒はもうかなり前から。
円筒というか、シリンダーというか、
そういう風に思ってた。
だから、いつかは円筒だけ作れるようになりたいっていうか、
まあ、円筒メインに作りたい。
でも今はもっと、
やっぱり脳の中に、どう言えばいいのかな。
僕の脳の中には、
要するに俺じゃないけど、
僕の祖先の記憶とかが全部残ってるわけではないですか、ある程度。
全て僕の祖先ばっかりではないけど。
だけど、母方と父親の祖先のものが、僕を作り上げたんだけど、
だから、そういう人たちが、言語のない時に見ていた風景を、
円筒で表しているのかもわからない、というような考え方を持つようになった。
僕にとってはなんとなく、焼き物、特に白磁に変わってから、
あぁ、この仕事についてよかったなっていうのは、
白磁っていうものが元々なんかこう、
なんて言うんだろうね。
潜在的に、
そういうものを表すのに適していたんじゃないかと思う。
やっぱり白一色だし。
それで、突き詰めていくと、
無形のものでいい物なんじゃないかなと思うのね。
だから、すごく都合の良い物だったと思うよ。
でも何よりも、好きとか嫌いっていうことで、
あんまり焼き物ごとを捉えたことはないのね。
この仕事が好きだからやってる、もちろん嫌いではないよ。
だけど、なんかもうこの仕事が好きで好きでたまらないって風に言うのも、
なんか嫌いみたいなのがあって、
それで、やっぱりプロになると、
それはどの仕事も同じで、
野球選手だって、野球少年の頃は好きで好きでたまらないんだろうけど、
でも、プロ野球の選手になったら明日クビになるかもわからないからね。
成績ちょっと悪かったら移籍されるし。
だから決して、プロになって面白いことだけじゃないよね。
だから、僕だってそれはある意味プロだから、そういうこともあるからね。
でも、ほとんどなんか、
今はもう体の具合がほんとに悪くなっちゃって、
この何ヶ月はもうちょっと寝るようにはなったけど、
もうなんていうか、一日4時間くらいしか寝ないで仕事してたから、
嫌いであるわけがないよね。
でもなんか、好きな仕事をどうしてもしなきゃいけないっていう考え方は僕はないね。
だって、そんな好きな仕事なんか見つかるわけがないんだもん。
俺だって焼き物やってて、好きな仕事じゃないもん別に。
偶然、焼き物屋さんに出会っただけで。
で、焼き物なんて僕の頭の中ではすごい遠い遠い遠い存在で、
まさか焼き物屋になるとも思ってもなかった。
だから好きなものを見つけなければいけないっていう風潮は、
僕は反対。
自分で自分を賄っていれば、それで十分立派なことだと思う 風潮になってほしい。
好きな仕事を見つけるためにね、
見抜いて苦しんで、引きこもりおじさんみたいになっちゃてるのは不幸だなって思うから、
なるべく早く学校で、
好きな仕事が見つけなくてもいいから、
自分で自分を賄える人間になったら、
それが立派なことだっていうのを教えてほしいくらいで、
好きな仕事が見つかったら、それはそれでいいことなんだけどね。