ー第4回目の福井出張手記:熊野九朗右衛門氏との出会い 2日目-①ー
初めて熊野九朗右衛門さんにお会いした日は、僕にとって非常に緊張感のある瞬間でした。
彼の工房へと車を進めると、熊野さんはわざわざ外に出ていらして、駐車位置を丁寧に案内してくださいました。
事前に写真で見ていた彼の強面な印象とは違い、実際にお会いすると落ち着きがあり、アットホームな雰囲気で迎え入れていただきました。
奥様が隣に寄り添いながら、コーヒーとお茶を出してくださったときには、緊張も次第に和らぎました。
お話を進めるうちに、熊野さんの陶芸に対する深い考えが明らかになりました。
彼は、焼き物は単に使われる道具ではなく、「心に安らぎやエネルギーを与える存在」であるべきだと強調されました。
日常の器であっても、それがもたらす「オーラ」や「力強さ」が人々に影響を与え、見るだけでもパワーを与える存在であることが重要だと話していました。
「器の本当の仕事は、ただ使うだけでなく、見るだけでもエネルギーを与えてくれること」と彼は言います。
たとえば、コーヒーカップのような日常的に使用する器は、実際に使う時間は人生の中でほんの一瞬に過ぎません。
しかし、普段目にするその器が、私たちに静かな力を与え、エネルギーを注いでくれる。
そんな存在であることが大切だと彼は考えています。
この考えに僕は強い感銘を受けました。毎朝、毎晩、白湯を飲むために使っている、大変気に入っているマグカップがあります。
他の人からすると何の変哲もないマグカップかもしれませんが、僕はその色、形、佇まいにハマっており、他のものを使ったり、代わりのものが欲しいと思ったことはありません。
熊野さんが仰る通り、そのマグカップを使っている時間は毎日の中で数分ですが、烏滸がましいながらもセレクトを担当している僕にとっては、自分の目利きの判断の中心に存在するものとなっています。
それまで言語化できなかった思いが、熊野さんとのお話を通じて一気に腑に落ちました。
また、熊野さんの作品が持つ特有のオーラは、製作過程での厳しい試練を通じて得られるものだそうです。
彼の工房では、他の陶芸家が通常1250℃で焼成を終えるところを、それを「スタート地点」としてさらに高温で焼き上げます。
溶岩と同じように極限の熱を受けた器は、翡翠のような硬度と美しさを備え、その過程で器に生命力が宿ると彼は考えています。
彼の哲学に基づいた作品は、単なる日用品以上の存在となり、私たちの日々の生活に静かで力強い影響を与えるものとして輝いています。
熊野九朗右衛門さんの工房で過ごした時間は、陶芸の奥深さと彼の人生哲学を深く感じさせるものでした。
熊野九朗右衛門さんとの対話は、器だけにとどまらず、非常に広範な知識にまで話が広がり、私たちを驚かせました。
博識であり、どんな話題も深く掘り下げて語る彼の言葉に引き込まれていくうちに、最初の緊張はすっかり解け、リラックスした雰囲気の中でお話を聞いていたことを覚えています。
今回のイベントについてもご協力をお願いしたところ、快くご快諾いただけたのは本当にありがたい限りです。
特にg KEYAKIZAKAの一環として、熊野さんの貴重な作品を展示する機会を得たことは、非常に意義深く、満足感の高い訪問となりました。
実際に熊野さんの作品を手に取り、表裏の隅々までじっくりと眺めていると、その圧倒的な情報量に言葉を失い、何を感じたのか表現することすら諦めるほどでした。
それほど彼の作品は力強く、静かな美しさと存在感に満ちていました。
この熊野九朗右衛門さんの作品を実際に見ることができる機会は、ふくいアンテナショップ291プレミアムの第3回展示会で実現します。
器好きの皆様には、ぜひ実際に足を運んでいただき、熊野さんの作品が持つオーラと美しさを感じ取っていただければと思います。
展示会では、彼の作品がどのようにして生活の中で力を与える存在となるのか、きっと実感できることでしょう。
ー2日目②に続くー